転職 お金 人間関係と 日本の伝統

人材業界20年の経験を元に 転職や職場環境、評価アップ、スキルアップ、人間関係の改善や対策に触れて行きます。また 日本の古典や伝統的価値観を交えて語って行きます。更には経済学で言う新自由主義が諸悪の根源と考えており、その方向からも述べます。なお政治的には中立で主義主張はありません。

福沢諭吉が主張するkoreaとの付き合い方

お隣の韓国、朝鮮とはいろんなニュースがあります。

 

最近では徴用工の裁判や芸能人のイベント中止、

去年は北のミサイル発射、

そして慰安婦問題。

 

本当に絶える事がありません。

 

戦後独立するまでは 同じ国だったんだから 仲良くすれば良いのに、と思ってしまいます。

 

ちなみに同じ戦後 日本から独立した台湾とは友好的なばかりか、

初の国民栄誉賞王貞治さんは、在日台湾人? そんな言葉がないくらいに

カリスマ日本人になっています。日本人の誉れです。

 

色んな指摘はあるのですが、福沢諭吉の脱亜論を見てみたいと思います。

福沢諭吉と言えば みんな大好き お札に顔が載ってる方です。

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聖徳太子伊藤博文新渡戸稲造と同様に見られる代表的日本人、

国民栄誉賞ができる前の、すっごい日本人って方です。

 

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ねずさんの現代語訳を転載します。

ねずさんのひとりごと 福沢諭吉の脱亜論

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《脱亜論》
 時事新報 社説
 明治18(1885)年3月16日

世界の交通はめまぐるしく進化して、西洋文明の風はついに東アジアにもやってきました。
いまや草木さえもこの風の影響を受けています。
西洋人であっても東洋人であっても、人間であることには、なんら変わりはありません。
けれど昨今、西洋人の影響力と行動力がいちじるしく大きくなってきたのは、ひとえに交通の便が発達したことによります。

西洋文明が東進してくるのに対して、これを防ごうと思うなら、まず大切なのは「覚悟」です。
そして覚悟を定めて、世界の現実をよく見て、世界で何が起きているのか、現実をよく確認しなければなりません。

文明は、麻疹(はしか)のような伝染病に似ています。
いま東京で起きている伝染病は、もともとは西国の長崎で流行ったものかもしれないけれど、いつの間にか東進して、春のあたたかさとともに東京にまでひろがりました。

伝染病がはじまったとき、それが広がってから病を防ごうとしても、手段はありません。
有害なだけで何のとくにもならない流行病でも、それがひとたび始まれば、その勢いを防ぐことはできません。
まして西洋の文明となれば、それは西欧社会に利益をもたらすものなのですから、侵攻を止めるのは至難のわざです。

 

そうであれば、「西欧文明の侵入を防ぐ」のではなくて、むしろ私達自身が体力をつけて、これに負けない国になるしかありません。
それこそが、智者の選択であり、行うべきことです。

西洋文明がわが国にはいってきたのは、江戸時代のことです。
嘉永年間に黒船がやってきて、多くの人たちがその脅威を前に、日本が強くならなければならぬと心に誓いました。
けれどそれをさせまいと進歩の前に横たわったのが徳川幕府でした。

日本が近代化して西欧と対等につきあえる国となるか、それとも幕府を中心とした旧体制を維持するか。
その二者択一を迫られたときわが国は、
「国を重んじ、政府を軽しとする大義
に基づいて行動し、ご皇室という神聖かつ尊厳ある存在とともに、もはや老害以外の何ものでもなくなった旧幕府を倒し、新政府を打ち立てることを選択しました。

日本は、国中、身分の別なく、西洋文明に追いついて行こうという体制を打ち立てたのです。
そうすることでわが国は、次々と植民地支配されて行くアジア諸国の中にあって、唯一、国家として、民族としての独立自尊を保ち、生き残るための新たな基軸を打ち立て、近代国家を形成することに成功しています。

ではその日本が行った選択とは何であったのか。
それこそが、まさに「脱亜」の二字でした。

日本は、アジアの最東端にある国です。
しかしその日本国民の精神は、すでにアジア的老害を脱して、西洋文明にちかづきつつあります。
すなわち、日本は西欧諸国に並ぶ独立国家としての道を進みはじめています。


その日本には、実はたいへんな不幸があります。
それがChina、朝鮮の存在です。

この二国も、もともと日本と同じ、アジア流の政教風俗をもっている国です。


ところが人種の違いなのか、教育の差なのか、China朝鮮と、日本との文化的な隔たりは、あまりにも大きいものがあります。

 

情報がこれほど速く行き来する時代です。
西欧的近代文明や、国際法についての知識は、彼らにだって当然もたらされていることです。
ところがChina朝鮮の二国は、まったく変わろうという気がありません。
変わろうとしないだけでなく、まるで百千年の昔のままの姿で居続けようとしています。

 

文明が、まさに日進月歩で進化している現代にありながら、この両国は教育といえば二千年も昔の儒教を言い、学校教育では仁義礼智といい、一から十まで外見を飾りたてることだけを大事にして、中味は、まるで空っぽの脳みそしかもちあわせていません。

普通なら、アホにはアホの可愛らしさというものがあるものです。
しかしこの二国に関しては、道徳心のかけらもなく、その残酷さは破廉恥をきわめています。
それでいながら態度だけは傲慢そのものです。
しかも、いかに他国や他人に迷惑をかけても、自省の色なんて毛ほどもありません。

 

私に言わせていただくなら、西欧文明の東進という脅威に対して、この二国が独立を維持し続けることは、およそ不可能なことです。
もしChina朝鮮の二国に、幸いにも救国の志士が現れて、わが国の明治維新のような政治改革を実現し、政治をあらためて人心の一新ができれば、話は別です。
しかしそうでないならば、China朝鮮の二国は、いまから数年を経ずして亡国の道をたどり、その国土は世界の文明諸国によって分割、分断されてしまうことでしょう。
これは、火を見るよりあきらかなことです。

なぜなら、伝染病にも等しい西洋文明の侵攻にあいながら、China韓国の両国は、その伝染するという自然の摂理にそむいて、無理にこれを避けようとして、旧来の陋習(ろうしゅう)という一室にひきこもっているだけだからです。
そんなことをして、部屋の空気を遮断すれば、そのうち窒息して死んでしまう。
あたりまえのことです。

「春秋左氏伝」に「唇歯輔車(しんしほしゃ)」という言葉があります。この言葉は、「輔車」が頬骨ほおぼねと下あごの骨、「唇歯」がくちびると歯で、隣国同志が互いに助け合うことをいいます。
しかしいまのChina朝鮮には、日本のためになる毛筋一本の値打ちもありません。
そればかりか、ややこしいことに、この日支朝の三国が地理的に近いがゆえに、欧米人から同一視されかねません。

つまり、ChinaやKoreaの不出来な振る舞いをもって、あたかも日本も同じだと思われてしまいかねない危険性さえも持っているのです。
たとえば、China朝鮮が古い専制君主独裁体制で、法治の観念を持たない国であれば、西洋人は、日本もまた、ああ無法律の国かとみなしてしまいます。

ChineseやKoreanが理屈にならない手前勝手な屁理屈ばかり並べ立てれば、ああ日本人も屁理屈をこねくりまわしている、訳のわからない国だと思われます。
あるいはChinaKoreanが、西欧の武力に恥かしげもなく屈して卑屈な態度をとっていれば、ああ日本も同じ卑屈な習俗の国だとしか思われません。
朝鮮の刑罰に、およそ人に行うには酷すぎる残虐な刑罰があれば、日本も同様に残虐非道な国だと疑われてしまいます。
こんな例をあげれば、それこそ枚挙にいとまがありません

ひとつの村の住人のほとんどが、愚かで無法で残忍で無情ならば、たとえその村の中にまっとうな一家があったとしても、外の人々からみれば、どっちも同じにしか見えないのと同じです。
しかもその影響は、すでに随所にあらわれています。
そしてわが国の外交に少なからぬ影響を与えています。
これこそ、我が日本の一大不幸というべきことです。

日本には、ChinaやKoreaが開明して国際常識を身につける日を待っている余裕などありません。
ChinaやKoreaとは早々に縁を切って、西欧諸国と進退を共にすべきです。

China朝鮮と接するときには、いちいち「隣国だから」といって格別の配慮など、もやはする必要などさらさらありません。
China朝鮮に対しては、西欧諸国が両国に接するのとまったく同様に、相手を人の住む国とさえ思わず、厳しく対処すればよろしいのです。

悪友と仲良くすれば、共に悪名をまぬがれないのです。
私は、心において、もはやアジア東方の悪友であるChina朝鮮とは、絶交を宣言するものです。

(現代語訳ここまで)